こんにちは。ナオヤ(@tsubota708)です。
趣味で写真を撮ったりしてるんですが、納得できる作品を撮るのって難しいですよね。
四角いフレームの中に情景をおさめる。
いいか悪いかは別として、そこに自分の意図はちゃんと入っているか、シャッターチャンスは一瞬、その瞬間をとらえれるか、対象物との距離感。
自分はまだ納得いく距離感をつかめてません…。
前置きはおいといて、昨年『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』という長編のドキュメンタリー映画を見てきたのですが、その時感じたことをまとめていきたいともいます。
ヴィヴィアン・マイヤー( Vivian Maier)
まずヴィヴィアン・マイヤーって誰?と思ってらっしゃると思いますが、自分も聞いたことないなーという感じでしたが、知人の写真家に勧められて見に行きました。
「今、一番ホットな写真家だから!」と。
ヴィヴィアンと呼ばせて頂きますが、女性であり、すでにこの世にはいない方です。
彼女は既になくなっています。生前は写真家としてこの世に知られた存在ではなく乳母として生涯を終えた人なのです。
タイトルに「写真家」とつけましたが、正直つけようかどうか迷いましたが、わかりやすいようにあえてつけました。
彼女が写真家として脚光を浴びたのは、没後の2007年、アメリカ・シカゴに暮らす青年ジョン・マルーフが、オークションで大量の古い写真のネガを手に入れるところから物語が始まります。
彼と彼女の出会い、
ジョンがオークションで落札したネガをデジタル化してブログにアップしたところ大賛辞。
あっというまに世界中に広まり発売した写真集は全米売上No.1を記録。
NY・パリ・ロンドンでの展覧会も大勢の人が押し寄せるという、現実ですが、映画のようなストーリー。
映画の中では、ジョンが彼女のすばらしさを伝えるために奔走した姿や、生前のヴィヴィアンを知る人をインタビューした映像が上映されていました。
前述してありますが、彼女は乳母としてその一生を終えています。
生前一度も自身の作品を公開することなく、未現像のフィルムも含めると15万点以上にも上る写真を撮り続けていたのか。本人しか分からないことかもしれませんが、これが彼女の義務だと感じたと思ったんですかね。
映画の中では人との接し方・距離感についての話もありますが、遺品や知人が語る彼女の人物像と、作品から伝わるその人物像が自分は合わないように感じました。二面性があると言った方がいいのかな…。
映画を見たみんなはどう思ったのかな。
映画で彼女の生涯を知ることはできたが。自分にどう取り入れられるかはまだ分からない。
ただ、これから自分に素直に写真を撮っていたいなと感じました。
最後に、『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』の予告編がありましたので、そちらをご紹介します。