こんにちは。ナオヤ(@tsubota708)です。
ベットに横になり寝るとき
朝起きて3分ほどの時間、いろいろ考えるときがあります。
今日はたまたま、昨年101歳と340日で亡くなって曽祖母のことを思い出しました。
そんな曾祖母ですが、よく聞かされていた口癖が“まじめに生きなあかんのやで”でした。
亡くなってからよく、この言葉の意味を考えるようになりました。
曾祖母について
自分は分家になるんですが、曾祖母から数えて自分で4代目になる農家です。
大正生まれの曾祖母は、戦争や福井震災など大変な時期を生き抜いた人です。
大学院生の時に研究の一環で、福井の様子を曾祖母にインタビューしたものがあるんですが数年前になるので、ほどんど内容を覚えてません…。動画のデータもどっかいってしまって、探しているところです。
ただ、戦争の悲惨さや、いかに生き抜いてきたかという内容だったのは覚えています。
*動画は見つかったら、youtubeに限定公開したいと思います。
亡くなった時、自分は東京にいたので死目に会えなかのですが、最後は眠るように息を引き取ったそうです。
当時の自分もこの言葉について考えてたみたいですね。
「まじめに生きる」とは
中学生のころこの言葉を聞かされてた時は「まじめってかっこ悪い」「めんどくさいな」くらいにしか思っていませんでした。
聞きとっていたのは「まじめ」という言葉だけで「生きる」というキーワードはいまいちピンときませんでした。
言っている意味をきちんと理解出来てなかったと思います。
改めて、言葉の意味を調べてみました。
真面目(まじめ)
1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「―な顔」「―に話をする」
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「―な人柄」「―に暮らす」
生きる
1 人間・動物などが、生命があり活動できる状態にある。生命を保つ。生存する。「百歳まで―・きる」「水だけで―・きる」⇔死ぬ。
言葉の意味を調べただけでも、自分に正直に生きるという風にもとらえられます。
誰しも、
このままでいいのか
ほんとはこんな風に生きたいんじゃない
と、思う時もあるはず。
そうじゃない人、「これが自分のやりたかったこと」「やるべきことだ」と感じているならそれは、まじめに生きているんだと思います。
仕事にしろ、友人関係、行動ひとつひとつ自分が選択した結果でしかない。
(宗教によってはなるべくしてなったという教えもありますが)
これからも、自分で考え時に友人に相談しながら生きていきたいと思います。
今の自分は「まじめに生きてるか」と言われたらまだはっきり「はい!」と答えれません…。
ただ、「はい!」と答えれるのが正解かと言われるとそうでもないのかも。
その葛藤の中で生きていくのもまた人生なのかな。