In order to educate my sensibility

COLUMN

「お前には、必死さがたりない」と言われる人へ

物事を進めていく上で、個人、またはメンバーの熱量はとても大事だ。

ただ、どうも誰かの言うことを聞くというのは、自分事と捉えにくく指示待ちになりがち。

好きなことだけでも、全力で楽しもうとするが、どうもどこかで手を抜いてしまう。

 

自分では一生懸命やっている”つもり”だが、それが相手に伝わらないのは往々にしてある。

必死さが足りないと言われた時になぜそう思ったのか、聞いてみたことがある。
「どこか、飄々(ひょうひょう)としている」「簡単そうにしている」というのが、その人が感じたことだそうだ。

なんとも、的を得ない返答だ。

飄々としているのが悪いのか、簡単そうにしているのが悪いのか、もっと苦悶に満ちた感じで物事を進めた方がいいのか。

自分としては結構悩みながら進めていた”つもり”だったのだが…。

そもそも、人に必死さを伝える必要があるのだろうか。

必死さとは何か

「必死」と言う言葉を調べると、失敗すると取り返しがつかないという気持ちで全力を尽くすさま。死に物狂い。一生懸命。という意味になってくる。

果たして、そんな様子で日々を生きている人がいるだろうか。

ある程度は余裕を持って生きている人が大半で、明日死ぬかもと言う状況はそうそうない。

ただ、一度死に物狂いで何かをした人は、そのレベルが他の人と全然違うだろう。

借金7億から復活した人、ガン治療から生還した人、どん底を見たからこそ必死にそこから上がって日々を生きている人は、1日1日の重さがもしかしたら違うのかもしれない。

誰もが、そんな経験をできるわけもなく、むしろどん底にいる人はラッキーと思えるポジティブな思考になれるよう、頑張るしかない。

自分で納得できるか

さて、冒頭の話は他者評価の話だが、自己評価としてはどう思うか考えてみよう。

必死にやってきたという自負はあるだろうか。

これは自分にとって結構辛い、自己診断だと思う。

本当に必死にやってきたことは、過去あっただろうか。

今、自分は必死にやっているだろうか。

そんなことを考えると、どこまで行っても100%にはならず、常に欲求不満状態になってしまう。

何か自分を制限することなく、楽しんでできるもの、それがたとえ地道な作業、苦しい練習、であったとしても続けれるもの。

そんなものに出会えたら最高の人生だと思う。

アウトプットしていこう

他人から見て”必死に”やっているということでも、当人としては平常運転の場合もあるし、逆も然り。

他人に自分を認めてもらうというのは、非常に難しい。

必死にやっている人を見るとついつい応援したくなるのが人情。

自己承認欲求を高め、人に応援されている人と言うのは、往々にしてアウトプットし、何かを成そうとしている人が多いのではないだろうか。

まずは、完璧な完成ではなくても、みんなに見てもらうと言うのが大事なのかもしれない。

*ブランドや作品の世界観を伝える場合には、中途半端にではなく運営者、作者が今出せる100%を見てもらうのがいいのかも。

自分自身を許し、まずは歩を進めることを大事にしていこう。

この記事も、思いつきの、走り書きなので、誤字や脱字も多いかも…。

最後に

どうまとめようかと思いましたが、必死さをアピールという事ではなく、まずは行動してアウトプットするのが大事ではないかと私は思います。

会社でも認められようと、必死さをアピールする人が往々にしていると思いますが、まずは行動で示す。
それでも会社が認めてくれないならさっさとやめた方がいい。

人に必死さを伝える必要はないが、行動は伝える必要があるだろう。

まずは自分を許し、羞恥心を捨て、行動するというのを大切にしてみてはどうだろうか。

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